インタビュー 2021/06/18 23歳・若手柔整師のリアル。 ー実は今、転職活動中なんですー 埼玉県の整形外科に勤務する舞草昴則先生は、独立開業の夢を抱いて日々奮闘する、23歳の若手柔整師。平日は運動器セラピストとして働きながら、土日には中学校のトレーナー活動、柔整師セミナー参加と、ほとんど休みもない状態。若さ漲る年齢とはいえ、健康を気遣い尋ねると、「休日に家でこもっているよりも、外で活動している方が僕には合っています。先輩柔整師の皆さんから学ぶ日々です」。屈託のない表情で語る舞草先生に、若手柔整師の〝リアル〟を訊きました。
舞草 昴則 柔道整復師 1997年7月11日生まれ。専門学校卒業後、柔道整復師免許を取得。整形外科に勤続3年目の今、より深く患者と向き合える環境を目指して、転職活動中(取材時)。将来の夢は地域に密着した接骨院を地元で開業すること。若者らしくSNSも積極活用する、自称〝平成最後の柔整師〟。 トワテック 現在、転職活動中とのことですが、お話できる範囲で理由をお聞きできますか? 舞草 職場の雰囲気はとても素晴らしいと思います。ただ時折、仕事が流れ作業のように感じてしまう部分があって……。来院される患者さんの数に、僕ら柔整師、理学療法士の人手が追いついていないため、余裕を持って対応することがなかなか難しい。一人ひとりの治療にもっと時間をかけてあげたい気持ちが強いので、そこが大きな理由です。 柔整師の経験は今後も整形外科で積みたいと考えていますから、転職の方向性は固まっているつもりです。勤務先からは「決まるまでいていいよ」と、ありがたい言葉を掛けてもらっていますが、いつまでも甘えているわけにはいきません。様々な病院、治療院を見学させてもらいながら探していますが、うーん、決定打と言えるものが(笑)。もしかしたら、人生の岐路に立っているのかも……。 トワテック 舞草先生は独立開業の夢をお持ちですよね。 ご自身が思い描く、接骨院の姿を教えてください。 舞草 僕はスポーツに本気で取り組んでいる学生を診てあげたいと考えているんです。地元に小学校〜高校の学生がたくさん集まるような接骨院を作るのが夢ですね。こんな風に考えるようになったのは接骨院時代の師匠の影響が大きいです。師匠は、ひとつの中学校のバレーボールのトレーナーから始めて、様々な会場で他校の怪我の手当てをするうちに、気付けば市内のバレーボール大会の本部席に救護係として着席していました。 学生に分け隔てなく接する姿勢は、師匠からすれば自然の行為だったのかもしれませんが、生徒や親御さんを通じて、評判が地域全体に広がっていったのです。その方の真似事ではないですけど、僕も同じような環境を作りたいと考えています。地域密着のスタイルで「怪我をしたら、あの先生!」と言ってもらえる日が来るように、人との繋がりを意識して仕事をしているつもりです。 トワテック 舞草先生のような若い年代だと、目上の人間と接する機会も多いと思いますけど、コミュニケーションスキルが高いですよね? 舞草 どうですかね(笑)。現在の職場だと20代は僕一人で、残りは30~50代。逆に言えば、若手一人なのでコミュニケーションも取りやすいですし、年齢が離れていることもあって、僕からも頼みやすい。もしかすると、居酒屋で働いた経験が生きているのかもしれません。時には酔っ払いの方、年配の方と接する中で、社交性が育まれた気はしますね。これから柔整業界を目指される学生さんには、治療院に勤務する前に、色々な仕事を経験しておくことをオススメします。特に接客業は対人関係の基本を学べるので、かなり役に立つと思いますよ。 おまけ動画「舞草昴則に10の質問(後編)」 (前編)23歳・若手柔整師のリアル。 ー 整形外科or接骨院?ー