教養ってそんなに難しい話じゃなくて、その辺に落ちているもの(中神)
ヒト対ヒトのお仕事をされていると、コミュニケーションって大事じゃないですか。患者さんを惹きつける話をする、思いを吐き出させるように接する。そうした感性ってどうしたら磨かれるんでしょう?
鋤柄:私教養については本当に自信がないんですけど、でも教養ってめちゃくちゃ大事だなと思うんですよ。大人として知っておかなければいけない素地の部分が。自分の言葉で喋るのも大事だし、相手の言葉で喋るのも大事。たとえば会話の中で相手が分からない言葉が二つ三つ出てしまうと誰も話を聞いてくれなくなるので、その時に相手が知っている言葉をこっちが知っている必要があるんです。相手が知っている言葉で話せるのなら、それを使って喋ってあげるのが大事だし、できない場合はこっちの体験をストーリーとして伝えるというのもあるだろうし。そういうのって大事ですよね。
中神:教養の高さってその人の面白さだと思うんです。人間にとって論理なんてあまり関係なくて、最終的に人は感情でしか動かない。そこに訴えるかけるためには自分自身に感情的になれるものがなかったら相手の気持ちも分からないし、人間としても面白くない。発信している本体が人を惹きつける何かを持っていなければ、遠心力も生み出せないと思いますね。
鋤柄:そういうのって多分、恥ずかしい部分も教養なのかもしれないですね。大人なんだから会社に行って、薬局勤めしていた方がキチンとした大人に見えるけど、それができないから土をいじったりとか、僕も酔っ払っちゃうとか(笑)。その人のダメな感じも含みながら、ストーリーや厚みのある話が出来上がると、いいなと。僕もこういう話をしながら、実はヒレ酒を飲みすぎて痛風発作が出てしまったりしていますし(笑)。
教養という言葉に難しい響きを感じてしまうのですが、〝習得する術〟みたいなものはあるのでしょうか。
中神:多分、教養ってそんなに難しい話じゃなくて、その辺に落ちているもの、誰もが簡単に手に入れられるものだと思うんですね。けど、教養に気づかない人間はいるんじゃないかな。気付かしてくれる何かがなければ、その人は一生教養が身につかない可能性もあると思います。で、そこに気づかせてくれるのが他人だったり、環境なわけで。少なくとも自分ではないと思うんですよ。いくら知識をひけらかしても、誰かが「あなたの話、面白いね」って言ってくれなければ、そこに教養はないんですよね。
鋤柄:別の視点で言うと、教養があるのと教養が使えるのは違うのではないかと。教養を教養として楽しめる人は多いですけど、使いこなせない人も沢山いるような気がします。その人たちはそこで固まってしまうので、差別化もできないし、人を楽しませることができない。うまく知識を昇華できていない、とでも言いますか。僕はそもそも素材が少なかったので、もっと教養のボリュームを増やさなきゃいけないんだけど、出し入れは得意な方だと思っているので、そうした意味でも教養と呼べるものを、じっくりと培っていきたいですね。
好奇心でお聞きしますが、ぴーてんさんはどうしてパンダを描き始めたんですか?
(※ツイッターに登場するパンダイラスト。ラインスタンプとして発売中)
中神:あれは本当に何も考えていなくて、偶然、パンダの画像が目に入ったので、それを模写したんです。そしたら模写にもなってなかったみたいで(笑)。その絵をある人が面白いってリツイートしてくれて。これで面白いならオイシイなぁと。それで毎回パンダを書いてます。トートバッグも作ったんですが、思いのほか売れているようでビックリです。
遠くのものをクールに使うより、近いものを上手に(鋤柄)
お話を聞いていると、多数の人間か抱えがちな悩みに対して、簡易な言葉で応えるテキストをデザインされているように受け取れるのですが、「まいにち老子」(ツイッターより)は、どこから生まれたのでしょう。
中神さんが描くパンダのイラストと老師の言葉の相性の良さ!中神:〝システムデザイン・マネジメント〟という学問があるんです。研究者曰く、「世の中の人が論理的に考えて構築できるものは全て作り終わった。これからは斬新なアイデアが絶対に必要になってくる。例えば、互いを知らない二人の子供が砂場にいる状況で、それぞれが別の遊びをしている。それを放ったらかしにしておくと、段々と融合して二人は全然違う遊びを始める」??これが斬新的なアイデアの作り方であると。僕はツイッターやYouTube配信をはじめ、色々とやっていますが、これらがどうやって繋がるか全くわからない。けど、やり続けていればいつか新しい何かが生まれるんじゃないのかなと。「まいにち老子」は人から頼まれてスタートしたのですが、とりあえず今は走らせている段階です。
鋤柄:老荘思想とか東洋医学って、元々は僕らの身近にあるものじゃないですか。近いものを上手に使った方が楽なのに、遠いものを上手く使う方がクールみたいな思考が蔓延っていたと思うんです。老荘思想には当たり前のことが綴られているんだけど、「原点に帰ってこい」って言われているみたいで。疲れた時に一番に沁みますよね、ぴーてんさんの老子が。
こっそり地味に普通になっていけるのがいいかなと(鋤柄)
鋤柄さんはお灸をより広げていくためのアイデアをデザインというカタチに乗せて発信されているわけですが、発想の原点というか、ヒントってどこから得られていますか。
大反響を巻き起こした蒸しタオルのツイート鋤柄:『カーム・テクノロジー』という本を最近読んだんです。これがとても面白くて。ざっくり説明すると、本当にデザインされたテクノロジーは我々にストレスを与えないよ、という話です。たとえば、スマートフォンみたいな便利な道具って便利すぎてどちらかというと依存っぽくなってしまったり、生活の中で主張が強すぎてしまう。でも本当に役に立つ技術にはそういった不自然さはなくて、ただ気付いたら自然に使っていると。お灸も、それくらいこっそり地味に普通になっていけるのがいいかなと思っています。例えば蒸しタオルを使って温めることを導入部分にした場合、「タオルを温めたら柔らかくるよね」というレベルから意識に浸透させていくことが一段階目としてあって、その中で「温めるツールとして、お灸は適切だよね」という方向に持っていくのが、受け皿としてはやりやすいのかな、と。
中神:めちゃくちゃ勉強になる話ですね。お灸って浸透させるのが難しい。火傷の心配、煙の心配、火の心配の三つがあって、こういった部分をクリアにしていかないと無理だと思うんです。いきなり頂上を目指すのではなくて、ステップを踏んでいかないと。
蒸しタオルで温めるという話は、まさに漢方の導入部分ですよね。ツイッターとかブログを見ていると、症状別の漢方紹介みたいなことはあまりやっていなくて、こういう時期はこういう症状になるからこれを食べましょう、というのがベーシックに映ります。
専門用語よりも実生活に根ざした内容でアプローチ中神:多分、漢方相談とか本場の中医学のドクターだと、それが普通なんですよね。もちろん、台湾とか中国の診察でも漢方や体調の話はするんですけど、これ以外にこういうもの食べた方がいいとか、これは活血するよとか、月経の前はベリー系のものを多く摂ってねとか。そうした当たり前のことを単純に文章に置き換えたって感じですね。
鋤柄:患者さんが知りたい情報がキチンとそこにあって、ピントがずれてないんですよ。例えば野菜を摂ることを想定すると、その向こうに東洋医学的な食事、薬膳のビジュアルが見えてきて、さらにその先に漢方が見えてくる。患者さんが何に困っているか、漢方に何を期待しているかが分かっているんです。お灸についても、どこで引っかかっているのか、もっと分析して考えなきゃいけないんですよね。煙の不安とか、僕らが想像している以上に怖いと思われていることとか、お灸で温まるという基本的な理解の部分まで、いろんな要素がある。そこの課題をひとつひとつクリアにしていけたら、より多くの人に正しく使ってもらえるし、もっとひっくり返せると思うんですけどね。
『【お灸堂すきから見聞録】第一話 漢方を伝える人、ぴーてんさんに会いに行く(前編)』はこちら→