榎本先生が鍼灸師の立場から災害支援に携わるようになった、きっかけを教えてください。
2011年3月11日に東日本大震災が起きた時、神奈川県川崎市に避難所が開設され、そこで炊き出しや鍼灸施術を行ったことが、災害ボランティア活動に関心を持ったきっかけになります。炊き出しには、地元の方々や商店街の方々に様々な支援を賜り、お汁粉や筑前煮、いなり寿司などを調理し、被災者の方々に召し上がって頂きました。
私の恩師で在られます朝日山一男先生は2004年の新潟県中越地震から災害支援を行っておられます。朝日山先生を通じ、公益社団法人全日本鍼灸マッサージ師会のスポーツ災害委員にご推薦いただき、災害が起きた際には全国各地の被災地を回っている状況です。
東日本大震災ではどちらの被災地に支援に行かれましたか。
私自身は、発災直後は、川崎市の避難所にて福島県の南相馬の方々に支援を行わせて頂きました。その後、宮城県の南三陸や亘理町にて活動を行いました。ここで少し、朝日山先生や神奈川県鍼灸マッサージ師会の活動を紹介させて頂きます。
震災から2カ月後の5月に宮城県の南三陸町を訪れ、亘理町、山元町、岩手県の陸前高田市、福島県の南相馬市で復興支援ボランティアを行いました。亘理町にお住いの消防士の方が、自ら被災された家を修復し、ボランティアが寝泊まりする場所を臨時で作っていただいたのです。宿泊所の確保が難しいため、支援したい気持ちがあっても大人数では行動できません。私たちボランティアが5~10人で30人程の被災者のケアを行っていました。ただし、私たちが倒れてしまったら元も子もないので、一度の滞在日数は2日から3日間ほどです。それを10年にもわたって繰り返して参りました。
朝日山先生によると、当時は震災直後でしたので、道には瓦礫が散乱していて、地震の恐怖と惨状を目の当たりにしたとの事です。また、北海道胆振東部地震で先遣隊として発災4日後に現地入りした際は、物々しい雰囲気で普段では見られない自衛隊車両や道具が並び、自衛隊の輸送車両が頻繁に行き来し、野営テントも張られていました。全国から救急車も乗り入れられておりました。その中で私達は、災害本部の許可を頂き、救急車の先導で現地に入りし、施術を行わせて頂きました。
被災地ボランティアとは子どもたちの笑顔を取り戻すこと
長年、想像を絶する現場に立ち会われてきたと思いますが、具体的なボランティア活動の中身ついて教えてください。
とても印象的だったのは被災地の子供たちの泣き声ですね。被災地は基本的に電気を消さないんです。真っ暗だと皆さん不安になってしまうので、一日中明かりが灯っているんですね。そうした状況が長期間続くと体内時計が壊れ、自律神経がバランスを崩してしまいます。子供が夜泣きをすると母親は周囲の迷惑を考えるようになり、イライラし、子供を叱ります。また、他の方たちも緊張状態の中、なかなか寝付くことができない。そこで、小児鍼の施術を行うと、子供たちが寝られるようになったのです。被災地のボランティア活動は子供たちを笑顔にすること、避難所をレスパイト(休息)することなのだと実感しました。ですから、鍼灸の施術だけではなく子供たちと一緒にゲームをして遊んだりもします。一時でもいいので、現実世界を忘れられる時間を作ってあげたいんですよね。その一方で私たちも、子供たちの笑顔に勇気を頂き、癒されているのです。
ボランティアには全日本鍼灸マッサージ師会及び神奈川県鍼灸マッサージ師会以外に、『赤い羽根共同募金』や『日本財団』からも助成金を得て参加する場合があります。それらの団体からは、鍼灸マッサージの他にサロン活動(アセスメント)を要望されています。サロン活動は避難されてきた方たちを、引きこもりにさせない、寝たきりにさせない、孤独にさせないなど。そのために運動不足の解消のお手伝いもします。先行きの見えない不安と緊張状態で籠ってしまうと、誰でも精神的に病んでしまいますから。人と触れ合って、体を動かすことで多少はリフレッシュできますし、エコノミークラス症候群や生活不活発病の予防になります。
避難所には色々な地域から被災者が集まってくるため、実はコミュニティが存在しないケースが多いのです。顔の知らない人たちが一緒に寝泊まりしている状況ですので、双方のコミュニケーションの繋ぎ役になります。家の鍵が壊れている、食事を満足に取れていない、学校に行けていない、などの不安や問題点を行政に繋ぐのが私たちに求められている仕事のひとつです。施術だけではなく、被災者の心のケアや関係各所への連携も含めた活動をしています。
鍼灸師の方々の災害ボランティアは、どのような仕組みのもと派遣されるのでしょうか。
公益社団法人全日本鍼灸マッサージ師会と公益社団法人日本鍼灸師会がDSAM(ディーサム)という災害支援鍼灸マッサージ合同委員会を立ち上げています。一方で医師、看護師、救急救命士等で構成されるDMAT(ディーマット)と呼ばれる災害派遣医療チームが存在します。DMATからDSAMに被災地ボランティアの要請が入り、私たちが派遣されるケースもあります。その際にDMATの先生方やJIMTEF(ジムテフ・国際医療技術財団)で研修を受けた理学療法士・柔道整復師・理栄養士の仲間と情報交換を行い被災地に入ります。
JIMTEFでは具体的な避難所の運営から他職種との連携方法、物資が不足している避難所での食事の作り方まで教わります。こうした体制が確立する以前は、派遣される鍼灸師の技術レベルに偏りがあり、熱意を持って被災地支援に駆けつけても、地元の方に迷惑をかけてしまう事例もあったようです。そうした課題を解決するために鍼灸マッサージ界の先生方が尽力され、10年以上の歳月を費やして、現在の体制が出来上がりました。
肉体的・精神的疲労を抱えるのは被災者だけではありません
被災地の鍼灸マッサージ治療とサロン活動の割合について教えてください。
DSAMの被災地支援では、午前中は鍼灸治療、午後から施術の合間に1時間程度サロン活動を行います。希望人数が多い時は時間帯に関係なく、部屋を分割して鍼灸とサロンを並列で行うこともあります。避難所の規模にもよりますけど、平均して30~40人程の希望者がいらっしゃいます。ですが、ボランティア活動は鍼灸マッサージに限った話ではありません。2018年に発生した北海道胆振東部地震では、新千歳空港にも甚大な被害が及んだことは記憶に新しいと思います。私が朝日山先生と共に先遣隊として向かった際は、スーパーやコンビニの機能が停止していました。被災地に到着後、避難所内の倒れた家具の設置、復旧から始めることもありました。
私たちの役割は環境の修復と心の不安に寄り添わせて頂くことです。私が間近で接した妊婦さんの精神的ショックは計り知れませんでした。「このタイミングで子供を産みたくない。病院を頼りにすることができない。電気が供給されていない中で、出産できるのか分からない不安。」そうした事態に緊急体制を敷いて、ドククーや看護師、自衛隊の方々と連携しながら、安心して出産できる準備のお手伝いをさせていただきました。
さらに身体的・精神的疲労を抱えているのは被災者だけではありません。自衛隊やドクター、行政の方々も寸暇を惜しまず活動されているので十分な休息・睡眠を確保できません。
例えば、普段は役所の戸籍課にいる肉体労働とは畑違いの人たちが突然、担架や支援物資を運ぶわけです。それを職場の仲間だけではなく、全国から集まった、見ず知らずの人たちと共に行う。初めは何がなんだかわからない状況から、皆さんが一丸となって進んでいくんですね。
行政の方はいきなり身体を酷使されるわけですから、腰痛や肩こり・全身の筋肉痛を訴えられる方が多いです。被災者の方々は、家の片付けや泥だし等で、やはり全身筋肉痛になり、長期化してくると精神的負担も大きく、更には生活不活発病になります。身体を動かすことができずにいると、肩こりや精神的不安が不眠や便秘等を誘発することも少なくありません。私たちはこれらの症状に応じた適切な施術を行っていくのです。
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