お灸堂のすきさんこと鋤柄誉啓さんが「気になる人」と言葉を重ねて知見を深める第二回対談の後編。ゲストはフェリシモで「ミュージアム部」部長の内村彰さん。「お灸」と「お寺」、私たちにとって身近な存在でありながら、初心者はどこか敷居の高さを感じてしまいがちな両者。内村さんが「おてらぶ」の活動に込める思い、鋤柄さんがお灸を広く深く浸透させていくために辿り着いたデザイン性とは? 前編に続いてお二人に熱っぽく語り合っていただきました。

パッケージはある程度綺麗でありふれていた方が悩みには寄り添いやすい(鋤柄)

前編は鋤柄さんと内村さんの出会いに始まり、内村さんが東洋医学、お寺文化に魅了されたきっかけをお聞きしました。お二人ともお仕事にコンセプトを確立されていて、ニーズを捉えたデザインが目を惹きます。発想の起点はどこから生まれるのでしょうか?

内村:東洋医学でも仏教でも、時間をかけて創意工夫されてきた概念、文化に携わっている方々はその本質や価値観を大切にされていると思うのです。我々みたいなぽっと出の者が、おいそれと改変したり、切り売りなんてことを出来るはずがありません。ただ、2500年前に響いていた言葉を現代の人に伝わるように、分かりやすく現代の表現に置き換えて伝えていく必要はあると思っていまして、グッズ制作やお寺を知ってもらう活動でも、そのあたりは意識しているつもりです。

『もち邪鬼フレークシール』はとても可愛らしいですよね。

愛らしさが溢れる「もち邪鬼フレークシール」内村:「邪鬼」=海外の悪魔的なイメージをお持ちかと思いますが、仏教では邪鬼は払うべき存在ではありません。良からぬものとして消し去るのではなく、懲らしめた後に取り入れてしまう。邪鬼はもともと四天王像の下で踏まれている鬼を表していますが、退治しても殺さずに仏門へと誘います。〝良いものも悪いものも、みんなが良くなればいいじゃない〟という仏教の教えを具現化した存在が邪鬼なのです。〝忙しい時、イライラした時には邪鬼シールを見て心を落ち着かせてください??〟。そんな想いが商品コンセプトになっています。

鋤柄:東洋医学にも「外邪」っていうのがありますよね。風邪、暑邪、寒邪みたいに色々なカテゴリーに分かれていますけど、ユニークなのは〝あいつが悪い〟みたいな言い方はしないんですね。夏には暑邪が盛んになりますが、〝僕らが弱っているから、その分悩みが出やすくなる〟。風邪にしても、何がしかのウィルス、疫病が悪いだけではなくて、我々が向こうさんと折り合えていないから病んでしまう。〝外因を排除するのではなく、内外を調和させていこう〟みたいな発想は東洋医学特有の面白さだと思いますね。

お灸堂さんのECサイトの導入フレーズが「習慣」、「シンプル」、「定番品」。お灸を広く深く伝えていくためのコンセプトと捉えていいでしょうか?

シンプルなイラストにセンスが光るENJOY SUERU TIME鋤柄:お灸を丁寧な暮らしの中に位置付けてしまうと敷居が上がってしまうように感じているので、もっと普通に身近にあるものにしたいというコンセプトに基づいて活動しています。特別なものにしちゃうと、少なくとも僕の中では、当たり前のものではなくなってしまうんですよね。毎日の歯磨きやお風呂みたいに「少し面倒臭いけど継続していたら気持ちいいよね」っていう感情が積み重なって、やがて当たり前になっていく。パッケージがある程度綺麗でありふれたものの方が、具体的な悩みにも寄り添いやすい気がしています。

内村:Tシャツのロゴに「ENJOY SUERU TIME」のフレーズを持ってくるあたりが、鋤柄さんらしいなと感じました。情報を知っていると〝巡る〟とか〝自然〟みたいなキャッチーな言葉を選びがちだと思うんですけど、本来、人にはもっと生きやすく生きたいとか楽しい日々を送りたい、みたいな意識が根本にあるので、飾りすぎないデザインは素敵だと思います。

鋤柄:あまり真面目にやりすぎると怖い顔になってしまいますから、プロダクトをすることによって、最終的に爽やかな感情が沸いてくればオーケーかなと思っています。

巡礼路プロジェクトを通じて地域力再生を促すことができたら――(内村)

内村さんは「おてらぶ」のグッズ制作以外にも、お寺巡礼や町興しにつながる広報活動を精力的に行われているとお聞きしました。

内村:現在はコロナの影響でなかなか行動に移せませんが、「おてらぶ」の活動を地域力の再生に活かせたら素晴らしいと思います。お寺はコンビニよりも多いと言われているので、小さな巡礼地をたくさん作りたいですね。お寺が元気になることで、そこに人が集まる。そして、お寺以外の地域の良さを皆さまに知っていただいて、活力を生み出せたらなんて考えています。地方の過疎化が進んでいる現代社会で、いきなり盛り返すなんてことは難しいと思いつつも、そこに住んでいる人たちが元気になれる源泉を掘り起こせたらいいな、と。

鋤柄:すごく簡単そうに話されていますけど、それって相当すごいことですよね。たとえば巡礼なんかは、それこそお寺さんは宗派の違いもありますし、我々以上に柔軟にというのは難しいと思うんですけど。

内村:私の感覚では、あまり大ごとに感じるような提案書を持って行かないほうがいいと思っています。「みんなで街を良くしましょう!」と、大風呂敷なパッケージを作って話してしまうと、「それは難しいですね…」となってしまいがちです。構想の話をするのではなくて、関わってくれる人が少しずつ現状より良くなっていく小さな点をたくさん作っていくんです。最終的に着地点を散りばめてプロジェクト同士を繋いでいくといいますか。

鋤柄:なるほど、とても勉強になるなぁ。そうした活動が形になったのが巡礼路プロジェクトですか?

内村:プロジェクトは3年前にスタートしましたが、実際に行えたのは広島県尾道市の1回だけです。尾道駅周辺は大きなお寺や歴史的な美術館を目的に訪れる観光客で賑わっているんですけれども、人がまばらで寂しく映る地域も目立ちました。そこで、JR西日本さんと一緒に、かつての花街に活気を取り戻すための巡礼路を作ったのです。

すると、ご夫婦が長年営業されている味わい深いバーを発見したり、一帯が有名ゲームの舞台に選ばれていたことを知ったりと興味深い話をたくさん見聞きしました。普段は訪れない人が巡礼路を通じて街を知り、新しい人と人との関係が生まれて、やがては地場産業の成長に繋げていけたら素敵ですよね。巡礼路のコンセプトはお寺巡りですが、双方が上手にリンクすれば、より意義あるものが生まれると考えています。

仏教は「こんな感じでいいんじゃない?」と落とし込んでくれるもの(内村)

こうしたご時世だからこそ、鋤柄さん、内村さんの活動が人々の精神的な励みや支えになり、日々の生活の向上に寄与するものがあると感じています。お二人が考える、文化の普及のあり方について聞かせてください。

飾ることなく自然なスタイルで。空間と融和した素敵な二人鋤柄:料理に例えたら、タイ料理みたいに癖のあるメニューだとは思っています。だからある程度相手は選ぶけど、一定数は関心を持ってくださる方がいる。好きな人に届ける一方で、必要としているけどもまだ出会っていない人がいるうちは頑張って伝えることをしなきゃいけないと感じています。ただし、「優れています」という伝え方は品を失ってしまう気がするので、「とりあえず身近なところにありますから、試しに使ってみるのはいかがですか?」と。

内村:コロナ禍と呼ばれて2年目に入りましたけど、それ以前の自分のポテンシャルが最高だったかと聞かれると、実はそうでもない。その時々によって、人は様々な不安や不調を抱えながら生きていますので、仏教の考え方は「こんな感じでいいんじゃない?」と落とし込んでくれるものだと思っています。誰もが、何らかの不平不満を感じながらも、自分自身を納得させながら生きている。ゲームの例え話で恐縮ですけど、HPが常に100じゃなくてもいいんだよと。HP70でも30でもあなたが生きていることが大事なのだと。おこがましいかもしれませんが、社会に寛容を与えられるコンテンツを作っていきたいと考えています。

内村:「鍼灸ってどうですか?」と聞かれたら、「悪くないですよ」くらいに答えるのが丁度いいのかなと最近、思っているんです。内村さんのお話ではありませんが、あんまり気合いを入れすぎない優しい世界といいますか。お灸を据えられて、人生がバラ色になりました!なんてことは実際にはそうそうないわけですし(笑)、いきなり良くしようとすると何事も混乱が生じますから。でも、先ほどの巡礼路の話は刺激的で、ちょっと悔しかったですね(笑)。内村さん、すごいことしているな、と。とても大事な話を聞けた気がします。

鋤柄:楽しんでやっているということは知っていただきたいです(笑)。決して使命感などではないですよ。私も活動を通じて、鋤柄さんが話されたように「それもいいよね」とか「大変だよね」と、みんなが言い合えるような、許容のある社会が訪れたらいいなと願っています。

『【お灸堂すきから見聞録】第二話 お寺の文化を伝える人、フェリシモ・内村彰さんと語らう(前編)』はこちら→